2018年 10月 25日
介護の是非
自分は介護を経験しなかった。
これは、親の遺言であった。
親戚、まわり、60年の体験から、親の介護は血がつながっていないことが必要絶対条件であることを忘れてはならないと結論づけている。もちろん自他共に体験的現象である。
僕が小学生のころ、親戚の家で育った。いとこは、4人もいて、大家族であった。僕は一人っ子で親は共稼ぎ。ほかの選択肢はなく、親戚の家でお世話になることになる。おばちゃんの姑が少しボケだしたころ、僕は目の前でその介護を目にすることになった。姑がいなくなったら、一緒に探しに行った。下の世話など、おばちゃんは、苦労していた記憶がある。それでもおばちゃんは、気丈にふるまい、むしろ、明るかったように記憶している。どうしてだろうと、今になって思う。
それは、今と違って、人が多く、負担も少しは、分散されていたからではないだろうかと思う。ところが少子化となった今、親の介護は、実の子供がする場面が多いのではないかと思う。
会社のロビーでも、介護する子供とその親が来店することがよくある。そこには、子供の疲弊した顔と、それにあまえながら、平気でロビーを徘徊する親が居る。
子供は、あきらかに正常な言葉を発言できないでいる。誰も止められない。
あまりにかわいそうで、目をおおいたくなる。この子供は、親を施設に入れたらどんなに幸せだったろうかと。。。
by i-koro
| 2018-10-25 22:44
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